私は幼稚園・・・ 千葉県 うっきー様

私は幼稚園、姉は小学校2年生。毎週二人で通ったお習字の塾の近くに一軒だけぽつんと駄菓子やさんがありました。お小遣いなどまだもらえるはずもなく毎週お店を見ないようにしながら早足で通りぬけていました。が、子供もせっぱつまれば?悪知恵が働くもので「お母さん、墨汁無くなっちゃったからお金頂戴」次の週には姉が「半紙代なくなったよ」などと、少しづつお金をちょろまかしては駄菓子やさんにいりびたるようになったのです。あの時の山と詰まれた駄菓子の数々を目の前にしたときの興奮は、35年近くたった今でもはっきりと覚えています。姉はそれと共にちょっぴり罪悪感も覚たそうですが、私はそんな事は全く無く、少しでも安い物を大量に買おうと必死だったのを思い出します。ストローをぷちんとさして食べた「すもも」、すっぱさに口をとんがらせた「さくら大根」、少しでも量の多そうなのを必死で選んだ「すいか」、舌に穴のあきそうなコーラ?のような「帯状のラムネ」、当たりの紙が入ってますようにと祈って開けた「餅太郎」。今思い起こすと何故か他の子供があんまり好きじゃない様な物ばかり好きでした。姉はといえば定番の「フルーツ糸引きあめ」「マーブルガムオレンジ」「あんこだま」「ホームランバー」、ちっちゃな木のへらのついた「ヨーグル」などの甘系が大好物。先日本当に何十年かぶりで都内の駄菓子やさんを覗く機会があったのですが、あまりに様変わりしていてビックリ。今はどれもこれもきっちり個別包装されていて、昔の様に大袋に入ったあられやらを、くじの当選番号によってがばっと紙コップですくったり、あんこだまやきな粉棒の箱に手を突っ込んで、少しでも大きいものを自分で探したり… なんて事もすっかりなくなっていました。私達姉妹が通ったあの駄菓子さんも来る子供も減り、おばチャンも亡くなり後継者も無く、今はとうになくなってしまったそうです。東京の下町の駄菓子やさんに必ずあったあの10円もんじゃも、PTAやらの反対でやってるお店は殆ど無くなってきている状態だそうです。衛生面から考えると仕方が無い様な気もしますが、放課後に駄菓子やさんでみんなでワイワイやることも、塾ばかりで遊び方も分からなくなってきている昨今の子供達にとってはとても素晴らしい学びの場の1つじゃないのかなあ、なんて寂しく思った一日でした。近々(毎日塾と勉強ばかりで遊びの1つも出来ない)小5の甥っ子を駄菓子やさんへ連れて行き、あの雑然として、ワクワクや楽しさや夢が山積みの世界を一度味わわせようと思っています!!(→甥っ子をダシにしてますが実は自分が一番行きたかったりして(^o^;))

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