子供の頃・・・ 高知県 杜若様

子供の頃のお小遣いが毎日50円だったので、それを握り締めて毎日近所の駄菓子屋へ行ってました。下町なので駄菓子屋さんが多くて、何軒もハシゴして50円をフルに活用してたのを覚えてます。安くて大きな袋のお菓子を真剣に選んで、「今日はコレを買って、明日はコレにしよう」とか、一人で計算してたなぁ。今でも駄菓子には目がありません・・・;

子供の頃、おばあさんが・・・ 徳島県 にゃーすくん様

子供の頃、おばあさんがやっている駄菓子屋に通ってましたお店の名前は定かでなく、銭湯の前だったので「風呂屋の前」と呼び合ってました。今では見かけなくなった、ガラスの瓶やケースに駄菓子が並んでいて、小さな紙の袋に5円分とか10円分詰めてもらえました。駄菓子だけでなく、くじ引きや(大阪では当てもん)紙で出来た着せ替えやおもちゃなどがあり、ひもの先に飴がついたくじをよくやったものです。リリアン編みやチェーンリングなど、駄菓子屋が流行の発信地になることもありました。ビーズ細工に使うビーズも昔は駄菓子屋さんで売ってました。高価なお菓子やおもちゃは高嶺の花だった私にとって駄菓子屋は少ないお小遣いで楽しめる最高の場所でしたね。

家の近所に・・・ 高知県 おちゃちゃ様

家の近所には駄菓子屋さんはありませんでしたので、長期の休みのとき、町の従姉妹のところに泊りがけで来た時、隣が駄菓子屋さんで楽しかったです。戦後10年もしてない頃で そんなにお小遣いがあったわけではないですが、1円、5円が貴重で、あれこれ悩んだことでした。親は知らなかったと思います。(知ったら禁止されていたでしょう)時代とともにそのおばあさんの店もやまって、もうそんな世界はなくなったと思っていましたが、10数年前スーパーのテナントに昔菓子屋さんがあって 懐かしさでしばらく通っていました。引っ越して行く機会がなくなりましたが 50年以上前の懐かしい思い出です。

私が子供の頃・・・ 愛媛県様

私が子供の頃、家から道を隔てて10メートル程の所に駄菓子屋さんがありました。母に100円玉をもらうとおおはしゃぎで、その駄菓子屋さんに弟と二人で通ったものです。お目当てはくじ付の10円ガム。当たりのガムの色が決まっており、色によって決まった金額分がオマケされるシステム。なかなか当たりがでなくて本当に当たりがはいってるのか疑ったりしながら、いつかお年玉でまるまる箱ごと買うのが夢でした。「大人買い」ってやつです。いまでは、その駄菓子屋さんはありませんが、子供の頃の思い出が沢山詰まった懐かしの場所です。