小学生の頃は・・・ 神奈川県 藍猫様

小学生の頃は、親からのお小遣いはありませんでした。ですが、おばあちゃんの家に行くと、いつも500円をもらって好きなだけお菓子を買うことができました。それほど遠くでもなく、月に1度会いに行っていました。もちろん駄菓子やへ直行し、たくさんの駄菓子を買ったものです。特に、ヨーグルが好きで3つも4つも買っていたのを思い出します。今でも駄菓子をみると、おばあちゃんを思い出します。

小学生のころの遊び・・・ 神奈川県 ぴーゆか様

小学生のころの遊びといえば、駄菓子屋で菓子、おもちゃを買い公園で日が暮れるまで遊ぶのが日課となっていました。駄菓子の中には、ユニークなもの(歯ブラシ型のお菓子など)があり友達と先を争って買っていました。最近は、遊園地やコンビに、デパートなどで「駄菓子コーナー」が開設されているのを目にするとちょっぴり懐かしくなります。ただ、ゲームをして駄菓子をゲットするなど本来の駄菓子屋さんのスタイルとことなるのが、今の子供たちが経験できないことが可愛そうに思えます。

子供の頃、くじ式の箱に・・・ 東京都 がんぱるペコタロー様

 子供の頃、くじ式の箱にヒモがついていて、ハズレはひも付きのただの三角飴、当たりが出ると25色位の太いボールペンが貰えるというのが駄菓子屋さんに在って、今思えば、特にどうという程の商品でもないのですが・、ハマッた思い出があります。 

子供の頃、近所に・・・ 神奈川県ちゃこちゃん様

 子供の頃、近所に新しく駄菓子屋さんができました。10人も入れるかどうかという小さなお店でしたが、連日超満員でスタンプカードを集めるのも楽しみでおこずかいをほとんど使っていました。 10円の容器に入ったヨーグルトが好きで当たりくじ付きのあめも好きでした。 でも半年ほどたったある日のこと、いつものように行ってみるとお店は閉まっていて閉店しますという張り紙がはってありました。せっかくためたスタンプカードをにぎりしめトボトボと家に帰ったのを今も覚えています。 母親になった今も駄菓子が好きでよく買っています。子供達にも懐かしいなと思う駄菓子、食べさせたいですね。

小学校のころ近所には・・・ 栃木県ゆたか様

小学校のころ近所には二軒の駄菓子屋があって、一軒はチェーン店。もうひとつはご夫婦が経営する小さな駄菓子屋。オレンジやマスカット味の六個入り30円のガムの当たりをチェーン店で買っては、当たりが出たら小さい駄菓子屋で交換していました。チロルチョコが大好きで牛チョコ(白黒包装)を特に買っては友達と食べていました。今はきな粉味がブームです。

戦争中、飛騨の山奥・・・ 神奈川県 ken様

戦争中、飛騨の山奥の田舎に疎開していました。村に一軒、駄菓子を売っている店がありました。学校の帰り寄っては片手一杯に駄菓子を買い、村の神社の陰で食べました。友達にも分けてあげて得意になっていました。お金はこっそり家から持ち出したものでした。一週間もしないうちに親に知られてしまいました。土蔵に入れられました。50年ぶりに田舎に行きました。なんとその店があったのです。思っていたよりも小さかったのに驚きました。が、店の匂いは昔を懐かしく思い出させてくれました。

駄菓子の思い出は・・・ 東京都れい様

駄菓子の思い出は、やはり、当たりくじつきの駄菓子を友達と騒ぎながら、握り締めた100円で当たるまで挑戦したことです。きな粉棒は爪楊枝の先が赤かったらあたりで、連続して当たるととても嬉しかったことを覚えています。また、一回10円ほどで、楽しみながらお菓子を買うことが出来、お店のおばちゃんとも顔なじみになり、たまにおまけをしてもらうこともありました。今でも駄菓子を買うたびに、当時のドキドキと大人になった今まだ駄菓子を買う少々の気恥ずかしさを感じています。

小学校に上がって初めて・・・ 群馬県 SILVER様

小学校に上がって初めてできた友達の家の隣に、おばあちゃんが一人でやっている駄菓子屋さんがありました。少ないお小遣いの中から100円だけ持って、10円のお菓子、30円のお菓子を慎重に選んだものです。最近市内にできた駄菓子屋さんはとても広く、で私たちが子供の頃にはまだなかった物、もうなかった物も置いてあります。小さい頃のわくわくする気持ちを思い出すと共に、あの小さな駄菓子屋さんは私たちの記憶の中にしかないことを思い、少し寂しくもなります。

駄菓子やさんは本当に・・・ 東京都 珊瑚様

駄菓子やさんは本当に見かけなくなってしまいました。このごろ30年代を懐かしむ映画や催し、町作りなどがあると聞きます。IT時代と言われる時代だからこそ、暖かいイメージで懐かしいのでしょう。お菓子1つで色々と思い出せるなんて、幸せ!

今は心も廃れて・・・ 東京都 みー様

 今は心も廃れてしまいましたが、幼少の頃は素直で良い子だったんです(笑)。小学生の頃は学校のすぐそばに駄菓子屋さんがあって友達と遊んだ時はよく買い食いしていました。おじいちゃんとおばあちゃんが自宅の一部でお店をやっていたのですが、買ったお菓子を入れる袋は広告で作った紙袋だったんです。糊付けしてあるだけだし、今考えるととても地球に優しいお店ですよね! そして、駄菓子屋さんでお菓子を買う時、私はほぼ毎回といってもいいくらい兄妹の分まで買って帰りました。頼まれたわけではなく、ただ自分一人だけお菓子を食べて申し訳ないという気持ちからだったのですが、私が兄妹からお菓子を貰った記憶はありません(泣)。でも今はどこか出かけたら何かしら買ってきてくれるので、「駄菓子効果がやっと現れたのね!」と安堵している今日この頃です!

子供の頃おばあちゃんの家・・・ 東京都 ししまる様

子供の頃おばあちゃんの家に遊びに行くと必ず100円をもらって近くの駄菓子屋に行きました。その頃の駄菓子屋の呼び名は「じいさん・ばあさん」でした。何故かあの頃の駄菓子屋さんはみ~んなおじいさんやおばあさんがやっていたからだと思います。いつも買っていたのはさくらんぼ(麩菓子)ときな粉アメ。最近のきな粉アメとは違い、形がひらべったいまん丸。粉を落としながら食べるのが大好きでした。駄菓子屋で100円をどうやって使うか、子供ながらにあれこれ考えながら買い物したものです。いまでも駄菓子屋を見ると懐かしい気持ちになります。