私の家の隣は・・・ 神奈川県 はに丸様

私の家の隣は昔、駄菓子屋さんでした。小さいときに、回覧ばんを届に行くと、駄菓子屋のおばあさんがラムネやアメなどのお菓子を、お駄賃としてくれた。それがとても嬉しいかった。今はおばあさんは、亡くなりお店もやめてしまったが、駄菓子を食べると昔のことを思い出します。

3歳から12歳まで・・・ 群馬県雪子様

3歳から12歳まで祖母宅に引き取られていた当時、近所に2軒祖母と同年代のおばあちゃんが経営する駄菓子屋さんがありました。「近いほうのお店」と「あっちのお店」なんて区別して呼んでいましたが、「あっちのお店」のほうが品揃えが豊富でちょっと高級なお菓子も置いてあったりして、小さな戸口をくぐるたびに胸高鳴らせた思い出があります。一方「近いほうのお店」は店頭に「コスモス」と大きなロゴの入った真っ赤な自動販売機があって、ロールケーキの形をした消しゴム欲しさに何百円と注ぎ込んだ記憶があります。どちらのお店へ行っても必ず買ったのが串カステラ。長い串に砂糖をたっぷりまぶした丸いお菓子が3つ4つ刺さったもの。くじを引いて当たりが出るともらえるドーナッツより、むしろはずれの串カステラに魅力を感じていました(笑)今でも駄菓子屋で見かけるとつい買ってしまう一品です。

私がまだ小さいとき・・・ 埼玉県 remi様

私がまだ小さいとき 駄菓子屋さんは はす向かいにありました しか二車線の道路の向こう側だったので 親は買いに行くのが心配のようでした しかし買いに行きたくて車が通り過ぎるのを待ち 向こう側に渡ったものでした 時にはきわどい渡り方もかなりあったと思います 

私の家の近くに・・・ 埼玉県 駄菓子だいすきっこ。様

私の家の近くに駄菓子屋さんはなくて、いとこの家に行ったときしか食べられないものでした。母から100円をもらっていとこと一緒に走っていったのを覚えています。中でもねりあめがすきでした。カラフルなねりあめが綺麗で印象に残っています。今はもうその駄菓子屋さんはなくなっています。コンビニやスーパーで買うのもいいけど、あの雰囲気で買うのが一番です。今度駄菓子屋さんを探してまた駄菓子を買いに行こうと思います。

駄菓子屋さんは・・・ 神奈川県 くま様

駄菓子屋さんはよく行きました。子供の頃は東京の下町に住んでいましたので駄菓子屋さんはたくさんありました。特に思い出に残っているのは「すもも」です。当時のすももは、食べると舌が真っ赤になって、友達同士で舌を見せ合ったものでした。

駄菓子といえば・・・ 栃木県 きゅーぴーZ様

駄菓子といえば…やっぱり「ふがし」!!口に入れて噛んだ瞬間は「サクッ」、すぐに「シュワ~」口の中が黒糖の優しい甘さであふれかえる、まさに至福の瞬間です。一度食べたらやめられない。黒糖が二度がけのものならさらに幸せになれちゃいます。私が駄菓子を考える上で後にも先にもふがし以上の存在はいません(笑)

亡くなったばぁちゃん・・・ 埼玉県 mie様

亡くなったばぁちゃんが、土曜日にいつも100円をくれて、それを持って毎週土曜日には駄菓子屋さんへ行っていた。そこでは、くじもひけて、1等が出たときには本当に嬉しかった。ただ、店主のおばぁさんも、可愛らしい人で、間違った景品を渡してしまっていることが多く、2等なのに1等の景品をくれることもたびたびだった。大人になり、あんなにどきどきワクワクすることが減ったように思う。昔は100円であんなに楽しめたんだなぁ。ドラえもんがいたら、一日だけ、あの頃の土曜日に戻りたい!!!

小さいころ、・・・ 茨城県 姫子様

小さいころ、母に100円玉をもらい、弟と歩いて30分のところまで大好きなおじさんがいる駄菓子やさんに毎日のように行っていました。100円で今日は何を買おうか?小さい弟と話しながら、30分の道のりが思い出されます。弟は、キャベツ太郎20円のおかしが好きで、いつもそれを買うのですが、まだ100円の計算もできなくて、私が一生懸命、『これが、20円だから、うんちゃら、かんちゃら』教えていたことを思い出しました。私は、あのころ50円ぐらいのミニカップラーメンが好きで、駄菓子屋のおじさんにお湯を入れてもらい、10円で、パックマンのゲームをしました。あまりの30円ですももを買い、ストローですすりながら、また30分の散歩道を歩きました。