いわゆる『駄菓子屋さん』・・・ 東京都 様

いわゆる『駄菓子屋さん』というお店はありませんでした。文房具屋さんや本屋さんが店頭のすみっこに駄菓子コーナーを作っていて、そこへ通ったものでした。そんな形態でしたから、品数は少なかったのですが、そんな中でも私が一番好きだったものは「くじ付きチョコ」でした。ひとつ10円で、当たりは1個から5個くらいまで様々。その当たったチョコからまた当たりが出ると大喜びしたものでした。今、街中で『駄菓子屋さん』を見かけると、その品数の多さに驚きます。もちろんついあれこれ買ってしまうのですが、私にとってはメインではない駄菓子屋さんの方が懐かしく感じます。

「駄菓子の思い出」・・・ 東京都 kazumi1023様

「駄菓子の思い出」といえば小学生の遠足です。もう30年近く前のことですが、遠足のおやつを買いに近くの駄菓子やへ行き、決められた予算(確か当時300円だったはず)でなるべく多くのものを買おうと思って10円の駄菓子ばかり買い込んでいました。今もあの時とおなじ商品が残っていて、しかも値段もあまり変わっていたいものもありとても懐かしく思います。

駄菓子の思い出・・・ 神奈川県 らむち様

駄菓子の思い出・・・と言えば、私も数十円から数百円(数百円は遠足の時だけですが)を握り締めて買いに行ってましたね~「粉ジュース」「ガム」「うまい棒」「キャベツ太郎」「餅太郎」「(グミみたいな)○○餅」「ヨーグル」など買ってたモノをあげたらきりがありません。優柔不断なのは昔も変わらず、たった数十円のお菓子を買うのにものすごく時間を費やしていました。あ、たった数十円だからこそ吟味してたのかもかも。今はコンビニでも売っているので、我が子のおやつに時々便乗させてもらってます(悪い親かしら?^^;)駄菓子堂さんの商品、を見て懐かし~!の一言です。でも、よく見ると知らないお菓子なんかもあるので、ぜひ新しい味にも挑戦してみたいですね。

やはり・・・ 千葉県 ハッピー様

やはり、駄菓子の記憶が一番あるのは小学生の頃で近くのお菓子屋さんに行っては毎日のように買いました。好きだった駄菓子は、UFO型のチョコマン10円、信玄いか10円、よっちゃんいか30円やソースせんべいにオレンジジャム&イチゴジャムを塗ってたくさん重ねて食べた記憶があります。あんころ玉もよく食べました。中に白い玉が入っていると当たりでジャンボあんころ玉をもらえます。紐でひく三角の飴玉もひいてみないと大きさが分からないのでどきどきします。大きいのに当たったけど、食べるのに苦労しました(笑)今でも見かけるとたくさん買ってしまいます。あの頃はおこずかいが少なかったからあまり買えなかったけど、今は思う存分買えますよ(笑)

小さい頃のおばあさん・・・ 神奈川県 ちさぽん様

小さい頃のおばあさんがやっている駄菓子屋さんがあって週に1回お小遣いを握り締めて行っていました。限られたお小遣いをどのような配分で使うのか幼いながら知恵を絞っていたように思います。母からは不衛生だから駄菓子は買ってはいけないといわれていたので駄菓子屋の前で立ち食いしてました。そんなことを思い出していました。

今でも売っていますが・・・ 栃木県 mozu様

今でも売っていますが、瓶のドクターペッパーが駄菓子屋に売っていました。子供のころ、これに10円のラムネ(メーカーは忘れた)を入れると急激に炭酸が刺激されて、瓶から溢れ出してくるんです。それをこぼさずに飲みきることが男気(仲間内)でした。

駄菓子屋の思い出・・・ 東京都 さとち62様

駄菓子屋の思い出といえばまず「あんこだま」あんこだまを割って、中に白い玉が入っていると「当り」でもう1個もらえちゃうんですよね~♪しかし当時は子供達に割らせずお店のオッチャンが素手で割っていた。。今では考えられないですよね。子供の頃「大人になったら絶対箱ごと買ってやるーー!!」って思ってました。で、買いましたよ☆「あんこだま」「酢漬けイカ」箱ごとね!!

近所にあった・・・ 東京都 名無し様

近所にあった「和田屋」。おばあちゃんがやっていて、小学生の時、いつも行っていた。友達もみんなそこにいて、きなこ飴やヨーグルト【サワークリームみたいなヤツ】あんこ玉、ロングゼリー、なんかを食べてました。中学になって久しぶりに訪れると、子どもたちはやっぱりワイワイとやってました。そのうち、おばあちゃんはなくなってしまって、今では、自家製パン屋さん。でも、片隅に少しだけ駄菓子が置いてある。息子さんがやっているからだ。少なくなった子どもたちが、何かを買っているのを見ると、懐かしくなる。

私の子供の頃は・・・ 埼玉県ぱぱちょ様

私の子供の頃は戦争末期から終戦直後、お菓子などは全く無くその日の食事にも支障があり1日1食か2食でした。菓子はガムかチョコレート、国道沿いや鉄道線路沿いで駐留軍の車や列車の通過を待ち手を振ると、ガムやチョコレートをばらばらと投げて行く、時には肉や果物の缶詰も。家に持って帰りガムやチョコレートは少しづつ兄弟で分けて食べたが、缶詰類を食べた記憶は無い。多分母が農家へ持って行き僅かな米や芋と交換したと思う。

私が小学生の頃は・・・ 東京都 よしノリ様

私が小学生の頃は、遠足のお菓子は近所の駄菓子屋さんで買ってました。ある日、幼稚園に入る前の弟を連れて買いに行き、夢中になって選んでいると、弟が口をモゴモゴさせているではありませんか!弟は嬉しそうにコーラ飴の包みを私に差し出したのです。慌てた私は無理矢理口から出させると、その包みにくるみ、何事もなかったように自分のお菓子の会計を済ませそそくさと店を後にしました。確か小学校4年生でした。その後2年間、遠足のお菓子の買出しはその駄菓子屋さんでした。でも結局謝る事はできず。今でも心の痛む話です…。

駄菓子の分類に・・・ 埼玉県 名無し様

駄菓子の分類にはいるかな?私が幼稚園のころ、近所の商店(駄菓子やと言うよりは、何でもや近かった)に10円のフーセンガムが売っていました。真ん中に谷間があって二つに割れるものなのですが、良く友達と半分ずつ食べたものです。その中には当たりくじが入っているのですが、1枚でもう一つもらえる当たりくじ、なんと、あたりでもらったもう一つの中もあたりで、自慢してまわったのを覚えています。商品はそこそこ(当時は満足でしたが)なのに、当たりが出ると、余分に嬉しいのも駄菓子の醍醐味ではないでしょうか。もう一つ付け加えると、2つに割れるものが当時非常に多くて、バナナ味のアイスがあったのですが、それが大好きで、またしても友達と2つに割って食べたのを、今思い出しました。分け与えるやさしさを教えてくれたのは、あの駄菓子やさんかもしれませんね。

私が子供の頃・・・ 埼玉県 らぶひろ様

私が子供の頃、100円は大金でした。100円分の駄菓子は滅多に買えず、10円玉数枚を握り締め、近所の「スズキ」に通ったものです。大人になり子供が生まれた今、子供を連れて近所の駄菓子屋に行くと、お店はどこも近代化?され、昔の駄菓子屋と言う雰囲気はなく、買っている子供達も、当たり前のように、100円・200円と買うのです!買った物を友達と公園で食べる・・そんな光景も今は見かけませんね・・そんな驚きの中でも、昔の姿と変わらぬ駄菓子を発見すると、結局飛びついて買ってしまうのですが(笑)今は、贅沢に、100円・200円買っています。それを娘に「大人買い~♪」と自慢げに言うのですが、今の子にとっては、大人買いでもなんでもなく、当たり前のことなのでしょうね。「駄菓子堂」の詰め合わせ商品、ちょっとした手土産に喜ばれそうな気がします♪