駄菓子屋の思い出・・・ 東京都 さとち62様

駄菓子屋の思い出といえばまず「あんこだま」あんこだまを割って、中に白い玉が入っていると「当り」でもう1個もらえちゃうんですよね~♪しかし当時は子供達に割らせずお店のオッチャンが素手で割っていた。。今では考えられないですよね。子供の頃「大人になったら絶対箱ごと買ってやるーー!!」って思ってました。で、買いましたよ☆「あんこだま」「酢漬けイカ」箱ごとね!!

近所にあった・・・ 東京都 名無し様

近所にあった「和田屋」。おばあちゃんがやっていて、小学生の時、いつも行っていた。友達もみんなそこにいて、きなこ飴やヨーグルト【サワークリームみたいなヤツ】あんこ玉、ロングゼリー、なんかを食べてました。中学になって久しぶりに訪れると、子どもたちはやっぱりワイワイとやってました。そのうち、おばあちゃんはなくなってしまって、今では、自家製パン屋さん。でも、片隅に少しだけ駄菓子が置いてある。息子さんがやっているからだ。少なくなった子どもたちが、何かを買っているのを見ると、懐かしくなる。

私の子供の頃は・・・ 埼玉県ぱぱちょ様

私の子供の頃は戦争末期から終戦直後、お菓子などは全く無くその日の食事にも支障があり1日1食か2食でした。菓子はガムかチョコレート、国道沿いや鉄道線路沿いで駐留軍の車や列車の通過を待ち手を振ると、ガムやチョコレートをばらばらと投げて行く、時には肉や果物の缶詰も。家に持って帰りガムやチョコレートは少しづつ兄弟で分けて食べたが、缶詰類を食べた記憶は無い。多分母が農家へ持って行き僅かな米や芋と交換したと思う。

私が小学生の頃は・・・ 東京都 よしノリ様

私が小学生の頃は、遠足のお菓子は近所の駄菓子屋さんで買ってました。ある日、幼稚園に入る前の弟を連れて買いに行き、夢中になって選んでいると、弟が口をモゴモゴさせているではありませんか!弟は嬉しそうにコーラ飴の包みを私に差し出したのです。慌てた私は無理矢理口から出させると、その包みにくるみ、何事もなかったように自分のお菓子の会計を済ませそそくさと店を後にしました。確か小学校4年生でした。その後2年間、遠足のお菓子の買出しはその駄菓子屋さんでした。でも結局謝る事はできず。今でも心の痛む話です…。

駄菓子の分類に・・・ 埼玉県 名無し様

駄菓子の分類にはいるかな?私が幼稚園のころ、近所の商店(駄菓子やと言うよりは、何でもや近かった)に10円のフーセンガムが売っていました。真ん中に谷間があって二つに割れるものなのですが、良く友達と半分ずつ食べたものです。その中には当たりくじが入っているのですが、1枚でもう一つもらえる当たりくじ、なんと、あたりでもらったもう一つの中もあたりで、自慢してまわったのを覚えています。商品はそこそこ(当時は満足でしたが)なのに、当たりが出ると、余分に嬉しいのも駄菓子の醍醐味ではないでしょうか。もう一つ付け加えると、2つに割れるものが当時非常に多くて、バナナ味のアイスがあったのですが、それが大好きで、またしても友達と2つに割って食べたのを、今思い出しました。分け与えるやさしさを教えてくれたのは、あの駄菓子やさんかもしれませんね。

私が子供の頃・・・ 埼玉県 らぶひろ様

私が子供の頃、100円は大金でした。100円分の駄菓子は滅多に買えず、10円玉数枚を握り締め、近所の「スズキ」に通ったものです。大人になり子供が生まれた今、子供を連れて近所の駄菓子屋に行くと、お店はどこも近代化?され、昔の駄菓子屋と言う雰囲気はなく、買っている子供達も、当たり前のように、100円・200円と買うのです!買った物を友達と公園で食べる・・そんな光景も今は見かけませんね・・そんな驚きの中でも、昔の姿と変わらぬ駄菓子を発見すると、結局飛びついて買ってしまうのですが(笑)今は、贅沢に、100円・200円買っています。それを娘に「大人買い~♪」と自慢げに言うのですが、今の子にとっては、大人買いでもなんでもなく、当たり前のことなのでしょうね。「駄菓子堂」の詰め合わせ商品、ちょっとした手土産に喜ばれそうな気がします♪