私の家の・・・ 東京都 かよ様

私の家の近くに有った駄菓子屋さんは「となりのみよちゃん」というお店でした。そこは、おばあさんが独りで切り盛りしている駄菓子屋さんで、放課後になると、100円玉を握り締めて、よくみんなで駄菓子屋さんに集まりました。100円といっても、うまい棒やきな粉棒は10円ですし、袋菓子も高くて30円だったので、100円で夢のように選び放題買えました。また、当たりがつきの駄菓子が多く、食べ終わった後も楽しみがありました。現在、私は結婚し引っ越して、その駄菓子屋さんに通うことが出来なくましたが、今の家の近くにも最近、駄菓子屋さんを見つけましたお客は子供ばかりと思いきや、高校生や主婦、サラリーマンも立ち寄っているのを見ました現在、駄菓子屋は減りつつありますが、大人になっても駄菓子を食べたい人は多く居ると思いますこれから、もっと駄菓子屋さんが増えてほしいと思います

「ねるねるねるね」・・・ 長野県 がび様

「ねるねるねるね」はロングヒットでしたが、発売当初私は小学生でした。学校が終わると近所の友達とわくわくしながら購入し、学校の裏庭にある大きな岩の上に乗り、おしゃべりをしながら遊んで食べました。社会人になって散歩に行くと、裏庭やジャンプして乗っていた岩がそんなに大きなものではなくてなんだかビックリです。少し前に主人とその岩に座り、新しい味のねるねるねるねを食べました。お互いの小学生時代の話で盛り上がり、楽しいひと時でした。

私の思い出は・・・ 兵庫県 さっちゃん様

私の思い出は、小さい頃はお金もなく、駄菓子なんて滅多に買えませんでした。近所に一人っ子の男の子が居て、お小遣いを沢山貰っているその子に付いて行き、『アレが美味しいよ!』なんてアドバイスしたりして駄菓子屋に居ました。『あのferixガム、よく当たるよ』と教えてあげると、男の子は大量のガムを買い始めました。そのガムを食べると言うより当たる事に必死になり、いらないガムは周りで見ている買えない子に回ってきました。それが嬉しくて毎回毎回付いて行きました。ferixガムは今でもよく見かけるので見つける度に懐かしく思い出します。今の子は10円のガムなんて自分で簡単に買えるし、親も当たり前の様に買ってあげるし…。でもきっと誰にでも駄菓子の思い出って何かしら大人になっても残りますよね。我が子はどんな思い出になるのか、将来聞いてみたいものですね!今でも駄菓子大好き?です!

私の場合・・・ 神奈川県 ゆうちんママ様

私の場合、子供の頃に駄菓子屋に通った記憶はありません。駄菓子はお祭りで買う物だと思ってました。お祭りに行くと親に買ってもらえるのが嬉しかったです。今では娘がスーパー等でお菓子を欲しがると駄菓子を買う事があります。まだ数が多い方が喜ぶ年の娘は、いつもは1個しか買えないのに駄菓子だと数個買えるので喜んでます。親も金銭的に助かり喜んでます。

小学校2年生・・・ 鹿児島県 あん様

小学校2年生の時、舌の手術をしました。怖くて怖くて仕方なく、拒否し続けていたら、母が、「頑張ったら100円屋(駄菓子屋さん)で500円分お菓子買っていいよ」と言われ、泣くのを我慢し手術を頑張りました。そのときの500円分の駄菓子が今でも忘れられません。

駄菓子屋は・・・ 千葉県 はまちゃん様

駄菓子屋は今ではめっきり見かけなくなりましたが、スーパーやコンビニの一角には駄菓子が置いてありますね。いつになっても子供達にとっては、少ないお小遣いでの買い物が楽しみです(^^)。私も子供の頃は、近所の駄菓子屋さんで買い物をしたものです。これからも、駄菓子がなくならないことを祈ります。

自分は・・・ 東京都 かんたろー様

自分は小学生の時から駄菓子にはお世話になっていました。小学校の目の前に駄菓子屋さんが2件あったので学校が終わると友達と駄菓子屋さんによく行きました。あの頃は300円あったらとても幸せでビニール袋いっぱいに駄菓子を買ってました。このあいだ久々に学校前を通りかかったとき、1件しか駄菓子屋がなかったので、少し寂しく感じました。

小さい頃・・・ 鹿児島県 ココロ様

小さい頃から駄菓子が好きで、いつもは買って貰えないけど遠足のときには300円握り締めてスキップしながら買いにいっていたことをいまでも覚えています。今ではその店は無くなってしまいましたが・・・。駄菓子堂の誕生をみて、幼い頃の様に胸が躍りました。

小さいころ・・・ 兵庫県 mimipo様

小さいころ駄菓子を買うのにこずかい100円を親にもらってその中から一生懸命計算しながら楽しく駄菓子を選んでいたのを覚えています。当時友達とかなりいっていた駄菓子屋さんは最近つぶれてしまいなくなってしまいました 駄菓子屋さんがなくなっていっているのでインターネットで駄菓子堂をみつけたときはわくわくしました

駄菓子は・・・ 群馬県 なかみほ様

駄菓子は、小学校の頃、お小遣いをもらえるようになった年齢の子供たちが、お金の計算を兼ねて、唯一親が自由に行かせてくれた買い物でした。小さな町の駄菓子屋さんは、当時一軒しかなく、町内の小学生が通う習字塾及び珠算教室のすぐ近くにありました。私は習字塾に入っていましたが、習字が習いたかったからではなく、近所の仲間が塾に通いつつ「買い食い」という大人のような行動をしていたことに憧れてのことでした。駄菓子屋さんには、顔馴染みのおばさんがいつもいろんな種類の駄菓子を取り扱ってくれ、お小遣いの少ないときには5円チョコ、100円玉を持ち合わせている時にはいかにたくさんの種類のお菓子を買うか、計算の苦手だった私でも必死に頭を捻って、計算をしたことを今でもよく覚えています。本当に駄菓子は、今でも永遠のアイドルのような感覚です。最近では、大型スーパーなどの駄菓子専門店ができ、簡単に多くの種類の駄菓子が手に入るようになり、私もついつい足が向いてしまいます。もうじき子供が産まれるので、息子にも自分が経験したような駄菓子屋さんでの算数でお金の計算を学びつつ、お金や食べ物の大切さを学ばせていきたいと思います。ちなみに・・・なぜか母が、麩菓子は体によくないと言って、当時「ふ~ちゃん」の愛称で親しまれていた黒糖の甘い麩菓子を買うことを快く思っていませんでした。そう言われていたので、なかなか買うことができずにいましたが、食べたことはありとてもおいしいことを知っていた私は、むしろ大好きな駄菓子の一つでもありました。ある日、駄菓子を買って家路に着く途中、近所の道路端にまだ落としたばかりと思われる大好きな黒糖麩菓子が一本落ちていたんです!!当時4年生だった私は、当然落ちている食べ物を口にすることにみじめさや羞恥心があり、しばらく麩菓子を見て葛藤していましたが、周囲に人がいなかったのでそっと一口だけ麩菓子を食べてしまいました。全部食べたかった気持ちが大きかったもののたった一口だけでも食べれた喜びで、とても大きな幸福感を抱いていた記憶があります。家に帰っても家族には当然、話せないないようでしたので、ずっと私の心の中だけにしまっておいた遠い記憶です。未だに、母は知らない話です。

亡き母が・・・ 静岡県 コスモス様

亡き母が大好きだった扶菓子、子供の頃いつも駄菓子屋さんに買いに行くとおばちゃんがおまけをたくさんつけてくれました。昔の駄菓子やさんてご近所さんのお茶のみ場だったり子供が5円10円を持って買いに来る楽しい憩いの場でした。なつかしいなぁー。